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モンゴルの現在(前編)

モンゴルについて以前、下記の疑問点を書きました。

 

・そもそもモンゴル経済ってどうやって成り立っているのか?

 

・国の主要産業は何なのか?

 

・外国への依存度はどうなのか?

 

・GDPなどはどれくらいなのか?

 

・そもそも遊牧ってどうやって生計を立てているのか?

 

・いやもっといえばモンゴルの人口はどれくらいなのか?

※昔、モンゴルの人口密度は1人/㎢とどこかで聞いたことがある気がする。

 

と、この自身の疑問が、他の方にも共感いただけるような・・・そんな希望を抱きながら、

それを自身で解答していく形で、モンゴルの現在(いま)を少し記載したいと思います。

 

 ※今回の日記を作成するにあたり、下記の本

『現代モンゴルを知るための50章』 明石書店 2014年)に大変お世話になりました。

 

毎回、一応紹介した本についてはリンクを貼っているので、興味のある方は購入してみてください。

またwikipediaモンゴル国なども参照されると、めっちゃ勉強になります。

 

どの切り口から、モンゴルの話をするべきかは、難しいですが、

いつものように、GDPから話をするとします。

モンゴルのGDPは、下記の通りであります。

 

モンゴルのGDPは、

1993年ー1994年を境に、10年間は緩やかなカーブを描き、

2004年から一気に経済成長を遂げており、2016年には、120億ドルになっっています。

日本のGDPがちなみに、5兆ドルなので、400倍近い差はあります。(不要に比較してみました。)

 

この1993年なり、1994年が後にきいてくるので覚えておいてください。・・・。

(あと画像データは参照元を明記する上でも適度にリンクを貼っているので参照ください。googleさん情報やべー。)

 

このGDPがどれくらいなの?というので、参考に、ラオスがほぼ同じくらいの曲線を辿ってます。

少し調べてみましたが、この曲線がある意味偶然の一致である可能性は高いです。(たぶんです。)

ちなみに、ミャンマーと比べると、2000年前後までは、差はさほどなかったですが、

ものすごい差がいつの間にか開いてます。

 

5年ほど前、ミャンマーは経済成長がすごい、とか言われていましたが、こうやってみると、

ピークは、2006年〜2011年で、聞いた時にはすでに遅かったなと。

モンゴルに戻ると

人口はすごい勢いで伸びており、現在300万人ほどで、えっ、そんなに少ないんだという感じです。(日本の40分の1)

 

面積は156万㎢(日本は37万㎢)で、日本の4倍です。

 

 

 

モンゴルの人口密度は、現在は2名です。(日本は350人です。)

50年間で3倍人口が増えている関係で、人口密度が1名だった時代は、もう40年近く前のようです。

ちなみにモンゴルの面積は156万㎢(日本は37万㎢)で、日本の4倍です。

 

※人口密度って1㎢あたりに何人住んでいるか?って目安で、

 1㎢とは1km ×1kmの面積をさします。

(計算としては、単純に総人口を国土で割ればでてきます。)

 1㎢の面積と言われてもパッとイメージしにくいとは思いますが、東京ディズニーランド+東京ディズニーシー

 の合計がだいたい1㎢です。(ディズニーランドもディズニーシーも面積はほぼ同じです。)

 

人口密度が2名というのは、ディズニーランドとディズニーシーに2人しかいないというイメージです。

(ディズニーランドを独り占めできるというほうがわかりやすいですね。)

 

 

(下記はモンゴルの人口密度の図)

 

少し興味深いことは、

モンゴルでは、最大都市(首都ウランバートル)の人口は、

下記のように、2000年は75万人だったが、ここ20年前後で倍の150万人に伸びており、

モンゴルの人口の半分はウランバートルに住んでいるということになります。(下図参照)

これは、後に出てきますが、一つの社会問題になっています。

ちなみに、ここまで記載するのに2時間かかってます。(画像の貼り付けとかリンクが大変)

よく調べたら、外務省のモンゴルのページに全部書いてました。

外務省のページを参考に簡単なことをパッと書いていきます。

 

*首都 ウランバートル

*民族 モンゴル人(95パーセント)

*言語 モンゴル語(国家公用語)

*宗教 チベット仏教

*主要産業 鉱業 牧畜業

*経済成長力 5.1パーセント(2017年)

*失業率 9.1パーセント

です。

 

モンゴルを説明する上で、歴史を語らず、この国を語るのは難しいので、

長くなりますが、歴史などを交えながら、モンゴルを説明できたらと思います。

 

モンゴルは、現在、モンゴル国と言う名前で、社会主義国家ではないです(帰国するまで知らなかったです。)

1992年に社会主義を放棄し、モンゴル人民共和国から、国名をモンゴル国に名前を変更し、

今は、自由主義経済のもと、発展をしつつあると思います。

 

(個人的な感想で言えば、上記に書いたように、人口がミャンマー(5377万人 2017年時)と

比べると圧倒的に少なく、そこまで急激な経済発展は期待できないかと思います。)

 

いや、話はモンゴルの歴史で、

いつ社会主義になり、なぜ社会主義を放棄したのか?

その始まりと終わりを少し書こうと思います。

 

 

余談ですが、今回は、モンゴル国とは別に、内モンゴルとかいう自治区が中国国内にありますが、

「そんなところがありますね」くらいで今は話をとめるようにします。

 

(世界史の教科書を調べましたが、あまりそのあたりって高校時代には習わないようです。)

下の世界地図の赤の線が内モンゴルです。(ちなみに、日本の国土の3倍です)

 

内モンゴルについては、機会があれば書いてみたいと思います。

※「内モンゴル」に対応する形で、モンゴル国は「外モンゴル」とも呼ばれています。

モンゴルの歴史の話をするにあたり、話を1900年くらいに戻しましょう。

 

かつては西はモスクワから東は韓国まで占領した元ですが、

その後、元は滅び、明を経て、清の時代、モンゴルの民族を同族とし、今のモンゴルのエリアに居住し、民族として残っていたようです。

 

その後、欧米列強の中国進出等で、清王朝はボロボロになり、1911年に起きた辛亥革命などで、清は滅び、

そのタイミングを狙い、モンゴルは独立を目指しました。

 

しかし、どこの国からも支援が得られず長期化しましたが、

1924年にソビエトの支援のもと、モンゴル人民共和国を建国しました。

 

当時から、社会主義色があったわけではないですが、続々とソ連が影響力を行使し、社会主義色を強めたそうです。

具体的には、

 

・社会主義イデオロギーとしてモンゴルの仏教寺院をすべて破壊。

 

・僧侶1万7000人を処刑し、モンゴルの仏教文化を潰す。

 

・1930年代にスターリンの粛清の名の下、70万人の人口のうち、3万人以上が処刑

→そのようなソ連の圧力もあり、モンゴルはソ連の衛星国などと呼ばれていたようです。

 

また、土地を国有化するなどし、鉱業などは、ソ連の都合に合わせて開拓が進んだようです。

例えば、モンゴルではウランが取れるため、冷戦時代は、

核戦争になる際、ウランの調達場所としてもモンゴルは見られていました。

 

また、当時は、人々の移動も制限されており、都市部への人口集中も起きないように規制されていました。

 

 

これは初めて知りましたが、ゲルについて、(下の写真、モンゴル人の家ね)

もともと、「社会主義時代は、国家が国民に支給するべき住宅が建設されるまでの一時的な住居」(※1)であって、

 

住居が国家から提供されていない人々に、一時的にゲルでお願いしますね、というもので、

ゲルの居住地区の管理もなされていました。

 

要するに、住宅の提供待ちの人々の仮設住居だったようです。(ゲル自体は、モンゴルの伝統的な家です。)

 

ただ、その後、社会主義が崩壊し、その時までに家が国家から提供された人は、その家の所有権を持ち、

提供されていなかった人々は、そのまま家が提供されず、家なしで今に至るようです。(特に補償も何もないようです。)

(この話はまた後できいてくるかもしれないです。)

 

「ソ連の衛星国」とも呼ばれたモンゴルですが、歴史は1980年代に動きます。

 

ソ連が1980年代後半に経済危機になり、

当時のゴルバチョフ書記長が、ペレストロイカ(今や懐かしい言葉)などを

かかげ、

 

・一党独裁政権をやめよう

 

・社会主義を放棄しよう

 

・ソ連内の国家に自治権をもっと持たせよう

 

などとその後のソ連崩壊に繋がる、一歩を踏み出します。

 

モンゴルでもそれに呼応する形で民主化運動が1989年から始まり、

段階を踏んで、民主化が進み、1992年に新憲法を発行し、

モンゴル国としてソ連から脱却し現在に至るようです。

 

それは、最初の図に示したように、その後の経済発展に繋がっていきますが、

今も多くの問題が生じていることは確かのようです。

 

 

ここで、このページの最初の問いに振り返りたいと思います。

 

・そもそもモンゴル経済ってどうやって成り立っているのか?

 

・国の主要産業は何なのか?

 

・外国への依存度はどうなのか?

 

・GDPなどはどれくらいなのか?

 

・そもそも遊牧ってどうやって生計を立てているのか?

 

・いやもっといえばモンゴルの人口はどれくらいなのか? 

 

GDPと人口以外ほとんど何も解答できていないですが、

未解答の問いについては、

モンゴルの国としての現代の問題に繋がる話であり、《後編》にて書きたいと思います。

 

勿体振る理由としては、この旅行でバルト三国なども行きましたが、

モンゴルと同じく、旧社会主義の国家が、ソ連の崩壊後にいろいろな問題に直面する、

という共通点が等しく見られました。

 

またどの国も、ソ連時代の記憶を残す活動をしており、

そのリアルさを伝えるためのイントロダクションと思っていただければです。

(あとは、私の文章力と、頭の問題でどうしてもまとまらないため長くなります。)

 

ということで、後編へ続きます。

 

※1 『現代モンゴルを知るための50章』(2014年 明石書店) pp.247より引用

 

 

 

【余談1】

日本からモンゴルへの自由渡航は1990年代になってからです。

現在、日本の相撲界を牽引するモンゴル人力士が、日本にきたのは、1991年であり、そこに歴史の必然を感じますね。

(モンゴルの民主化とモンゴル人力士の誕生の時期は一致します。)

 

ちなみに、モンゴル人力士のパイオニアの旭鷲山のリンクを貼っておきますので、wikipediaを読んでみてください。

 

 

【余談の余談】

旭鷲山って、日馬富士の暴行がニュースになった時に、やたらに日本のマスコミに出てきた人です。

 

旭鷲山は暴力団からの恐喝があり引退しましたが、一説には、

モンゴルの金鉱山開発利権を住吉系と関西系の暴力団へ二重に売却したことが問題になった」

との話もあり、モンゴルと、鉱業は切っても切れない関係です。

 

 

【余談2】

1962年にモンゴルではチンギスハンの生誕800年を祝う式典を行おうとしたが、ソ連からの度重なる警告がなされ、

結果的に中止になったようです。

 

上に少し書きましたが、当時のモンゴルは、

「チンギスハン」という存在は、タブーだったようです。

 

理由は二つあり、

・社会主義国家として、無神論イデオロギーをソ連から強要され、祖国のかつての英雄は不要とされたこと

 

・ロシアがかつてチンギスハン率いるモンゴル帝国※2によって制圧されたという過去があり、

そのことに対する恨みもあったようです。

 

それもあり、1990年代まで、チンギスハンはモンゴルでは消された存在だったようですが、

現在は、モンゴルのナショナリズムの象徴としてチンギスハンは現代のモンゴル人の心にあるようです。

(空港や通りの名前など、いたるところに、チンギスハーンという名前は現在使われています。) 

 

※2「モンゴル帝国」と「元」を併用して私は使いましたが、違いについては、ここを参照ください。

 

 

 

【余談3】

昔、小さい頃に「ジンギスカン」という曲が流行っていたと思います。

1979年に西ドイツのグループ「ジンギスカン」によって歌われた曲「ジンギスカン」のようです。

 

初めて映像みましたが・・・。こんなグループだったんですね。

 

「俺たちモンゴル人だからなー、hahahaha」「うぉっかもってこーい」

みたいなことが歌われ、世界的にヒットし、

 

英語、ロシア語、中国語、日本語、韓国語でもカバーされたようです。

 

あえて、モンゴル語に訳されていないところは・・・ツッコミたくなりますが、

この歌が、当時のモンゴルで流行っていたのかどうかは、知らないです。

(今はモンゴルでも知られているようです。モンゴルなうより

 

あと、wikipediaにもありましたが、モー娘。の「恋のダンスサイト」は、この曲にインスパイアされて作られたようで、

同じ、ハロプロ所属のBerryz工房は「ジンギスカン」のカバー曲も出してます。

学芸会レベルやないか!