写真はウランバートル駅

現代モンゴルについて(前編)と(補足)の続きになります。
短くまとめると下記のようになります。
・モンゴルは、1924年にソヴィエトの支援を受け、社会主義国家として独立。
1992年にモンゴル国として民主化。
・かつてモンゴルはソ連の衛星国と言われ、抑圧を受けてきた。
・現在は300万人の人口で、GDPは120億ドルで、経済規模はラオスと同じくらい。
・国土は日本の4倍あり、ソ連時代に鉱業を発展させた。
と言った内容です。
なぜ?という声を想定して、色々とリンクを貼って説明しているので、読んでいただければ幸いです。
補足日記も足したので、ぜひ。
では、その後のモンゴルはどうなったのか?
後編のはじまりはじまりー。
【モンゴルと日本について1】
民主化したモンゴルがどう変わったのか?
その話を書く前に、身近な日本とモンゴルについて2つ書きたいと思います。
モンゴルは、昔も今も、鉱業と農牧業がGDPの大半を占めており、
日本への輸出も、カシミア、金、石炭などがあり、
石炭については、輸出金額の半分の割合を占めています。
石炭なんて、近代社会の過去の遺産のように思われがちですが、
(私自身も調べてみて知ったんですが)日本のエネルギーはまだまだ石炭に依存しています。
地方の電力会社では、火力発電の原料として、まだ根強く石炭が使われています。
日本も世界も電力の4割はまだ石炭です。(参照)
下記は、沖縄電力のHPから抜粋しましたが、
一時期は沖縄の電力の8割近くは石炭による火力発電に頼っていました。
今も、沖縄の電力の6割は石炭頼みです。
wikipediaの「石炭」のページより抜粋すると、
「二度の石油危機以降、原油価格がバーレル2ドルから12ドルへ上昇し、発電・工業用ボイラ燃料・セメント焼成燃料は1980年代に再び石炭に戻った。一方で石油代替燃料のライバルとして天然ガスが登場した。しかしながら価格が最も安価なため、1980年代以降米国や中国では石炭火力発電が発電の最大の柱となっている。日本では、東京電力・中部電力・関西電力のような大都市圏の電力会社では比較的天然ガスの比率が高いものの、地方の電力会社では、沖縄電力が2010年の統計で発送電電力量構成比で石炭火力発電が77%をしめるのを筆頭に、中国電力でも58%、北陸電力でも44%をしめるなど石炭火力発電が発電の柱となっている会社も多い[7]。」
すなわち、
世界の石油の価格の高騰に対応する形で、価格が安定的な石炭に依存する体制がまだ日本にはあるということ、特に地方の電力会社では、ということです。
日本は、世界で3本の指に入る、石炭輸入国であり、インド・中国・日本がとにかく多いです。(参照ページ)
また、モンゴルは
世界の石炭の輸出国としては、世界では、トップ10前後であります。(参照ページ)
と聞くと、日本はモンゴルからの石炭依存は強いかと思いきや、
日本の石炭の輸入は、4割がオーストラリア、2割がインドネシア、ロシアが1割、
モンゴルは数パーセント以下しか輸入しておらず、日本は、国内のエネルギー供給のリスクヘッジのために
輸入しているかもしれない、そんな気持ちになります。(参照ページ)
10年ほど前に、1960年代の石炭・炭鉱を研究していた事があり、石炭が好きなため・・・失礼しました。
なんとなく、日本とモンゴルの関係が見えるような気がします。
ちなみに、石炭は燃焼時に二酸化炭素の排出量が多く、またエネルギー効率が石油などより悪い点など、環境への懸念点も多く、反対する人も多くいます。
【日本とモンゴルについて2】
日本とモンゴルは、では、どのような関係か?
戦後の両国のつながりを少し記載したいと思います。
日本は1972年、中国と国交正常化をしているが、同じ年にモンゴルとも国交正常化を行い、
日本は、戦後賠償の意味合いを含めてODA(政府開発援助)の形でずーーーーっとモンゴルに巨額のお金を援助しています。
調べると、現在、何をどう援助しているかは、JICAで報告されています。
(ODA見える化サイト)←このサイト、初めて見ましたがすごいです。
ちなみに、2011年までに、15億ドルほどだしており、
最近では、新ウランバートル空港の建設に関わっています。(まだ未完成?)
少し過去に遡り、
最初に行った日本の援助は、「ゴビ・カシミア工場(現ゴビ・コーポレーション)」の開発でした。
カシミアの原毛しか取引ができなかったモンゴルに、加工技術を伝授し、より付加価値の高い商品を生み出せる体制作りを支援したそうです。
さらに一時期は、モンゴルのカシミア輸入は多く、その点でモンゴル経済を日本は後ろから支えていました。
日本がODAとして、モンゴルへ支援している金額は、世界各国の中で一番多く、
その点については、日本人としては誇らしく思います。
ただ、その支援と投資が、どう日本にメリットがあるのか?という点は、見えづらく、
なかなか複雑な気持ちになる事もあります。
そんな日本とモンゴルの戦後の話はさておき、本題に入ります。
【モンゴルは民主化してどうなったのか?】
先にも書きましたが、モンゴルは1924年にソビエトの支援を受け、「モンゴル共和国」として独立。
1992年に民主化し、自由主義経済の国家、「モンゴル国」として独立。
彼らは、選挙を行い、大統領を決める国家に変わりました。
さてソ連から離れたモンゴルはその後、どうなったのか?
下記の通りです。
①ソ連(ロシア)からの支配はなくなるが、支援もなくなる。
ソ連がこれまで支配と同時に管理もしてきましたが、モンゴル国の独立により、そこからの脱却がはかられました。
ソ連が何もしなくなると同時に、一番近づいてきたのは中国です。
中国では、自国の内モンゴル内にレアアースをはじめ、豊富な鉱山があることから、モンゴルでの鉱山開発に乗り出すなど、
中国がモンゴルの企業に直接投資した金額・割合共に世界一で、
資源や産業など、モンゴルが中国依存になっていることも確かです。
(モンゴルの輸出の90%は中国で、輸入も中国からの割合が30%です。ロシアがそのあとに続きます。)
また、ロシアも、一度は離れましたが、中国に続く形で、今はがっつりとモンゴルに近づいてます。
そのことで問題もあり、
鉱山は、穴を掘り、土をほじくる事で、砂漠化、環境破壊が社会問題になっており、
外国資本による歯止めのない開発が問題視はされています。
②社会主義特有の管理がなくなる。
かつては、社会主義のもと、牧畜協同組合が解体され、遊牧民の家畜と、工場・市場を結ぶ流通ルートがなくなり、
個人事業主として、商売をしなくてはならない状況にあるようです。
そのため、
あ)都会に出れば物価があがるため、皆がウランバートルに売りに来るようになる。
い)羊よりヤギ(カシミアの原料になるため)のほうが、高く売れる
う)商売の上手い下手で貧富の差が出てくる
え)予防接種なども自己負担になり、病気の羊もでてくる
などあり、一気にウランバートルに人口が集まってきており、
羊よりもヤギに切り替える事で、草を食べ尽くし、砂漠化が進み、
そもそも遊牧せずに、ウランバートル周辺で定住するようになり、
環境破壊と、貧富の差が同時に起きているようです。
③国民の定住化、管理がなくなり、居住の移動が自由になる。
もともと、ソ連時代のモンゴルは、人の管理も含め、定住を原則としており、
前編にも記載しましたが、住居を提供し、住むようにしました。
また、ゲルについても、居住地域を決め、遊牧といえど、管理をしていました。
ゲルについては、もともと住居が提供されるまでの臨時対応ではありましたが、
全国民の住居が割り当てられる前に、民主化してしまったことで、
家の無いものが生まれた事、
家を持つものは、その家を個人の所有物として所有するようになりました。
さらに、居住の移動が自由になり、
家を持たない、牧畜を営む人々が②に書いたように一気に路頭に迷い、
都会の端に、ゲルを作り住むようになっています。

写真のように、明らかに一般の住居の中に、不自然な形でゲルがあります。
(実際に自分で撮った写真です。)
何か、この国の貧しさをその時感じましたが、
その貧しさが、現在モンゴルの抱える問題になっています。
先にもあげましたが、人口の集中が環境問題、貧富の差など、新たな問題を生んでいます。
まだまだ、モンゴルについては、いろいろなネタがあるので、
簡単に何個か列挙しておきます。
・社会主義国家でもあったため、北朝鮮とも仲がよく、北朝鮮による日本の拉致被害者の話し合いも
一度は、モンゴルにて、北朝鮮と日本で話し合いが行われた事があるようです。
・モンゴル人は、かつてソ連への留学の割合がとても高く、ソ連の支配が強かった事もあり、
ある意味、アイデンティティは中国よりも、ソ連であり、ヨーロッパ人という意識が強いようです。
・日本からモンゴルへの輸出は車が多いようで、中古車から高級車まで様々な車が輸出されているようです。
そういえば、転職活動の時に知った、ラグザスクリエイトという会社がまさに、モンゴルとかに車を売っていた気がします。
こういったことを知った上で、もしモンゴルを訪れることがあるとすれば、また違った国に見えてくるかもしれないです。
ただ、記載した内容は、データ等から見たモンゴルであり、
モンゴルを見た時、どう見えるのか?あなたの目にどう映るのか?という点は、
それは、常々社会の変化であったり、その人の感性であったりするため、
その対象は常に変化し続けるものかもしれないです。
ただ、私の目に映ったモンゴルは、
貧しく、汚く、どのようの経済が成立しているのか?というのが、疑わしくなるような国に見えました。
調べると、やっぱり自分の見たとおりだったかと納得する部分と、見えなかった部分(本当かわからない部分)があり、
調べながら2度旅行した気分になりました。旅行の醍醐味を味わえた気がします。
また、3度目もぜひしたいなと思います。
ということで、モンゴル編は長く続きましたが、
次の日記からはロシア編です。
モンゴル編お疲れさんです。