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【6日目】ロシア3日目 ただ無性に・・・(前編)

10月21日・・・。

オームスクからキーロフまでを走る。

 

北京を出発して現在乗車5日目。

一気にモスクワに近づくそんな5日目である。

 

翌日10月22日の昼にはモスクワに到着。

その前日の21日の旅行記である。

 

(10月21日に書いたメモを元に旅行記を書いていきます。)

 

 

10月21日・・・。

オームスクでは、モスクワとの時差は3時間であるが、1日でモスクワとの時差が0時間になる。

時差が3時間も変わる。

それだけ一気に西にいくのがこの日の行程である。

 

 

朝7時に起床。

 

朝、今の現地の時間に合わせて腕時計を合わせるのか?もうモスクワ時間に合わせて時計を合わせるのか?

もう、今何時なのか?どれだけ寝たのか?それもわからなくなるのが5日目である。

 

そもそも寝たのか?(昨夜は夜中まで本を読んでいた気がする)

しっかり寝たはずが、時間があまり経っていない・・・、

よくわからない時間の空間の中に自分がいる。

(おとといから、昼間に酒をのみ、夜読書する生活をしているせいかもしれない。)

 

昨日と変わらない景色の中に自分がいる。

 

 

ただ、

1日目の夕方に見た内モンゴルの風景

2日目に見たモンゴルの風景

3日目の午前に見たバイカル湖の風景は、

いずれも、見飽きるほど、その日には見たが、

5日目になると、その景色の懐かしさと、もう一生、その風景を見ないかもしれない・・・と思うと、

妙に寂しさも湧いてくる。

 

※レールを走る電車と、人生の時間軸を重ね合わせてしまう自分は、少しセンチメンタルだったんだなと、

 今になっては思い直す。

 

 

5日も電車に乗っていて、

ネットワークからも隔離されると、

仕事のコトも忘れ、人と連絡をしたいなどとも思わなくなってきた。

それほど、この電車が、何か不思議な空間であることがわかる。

 

 

同時に、一日中、ほぼ電車の中にいると、そもそもお腹がそれほど空かない。

夜食べたものが翌朝、胃に残っていることがおおく、それも不思議な気持ちになる。

 

この空間をどう過ごすべきか?

少なくとも・・・無駄に寝て過ごすことを拒むそんな電車であろうと思う。

 

となると、

色々と過去のことを思い出したり、本を読んだり、そんな贅沢な時間を過ごすことになる。

 

ただ一つ問題があり、

この5日間、全く風呂に入ることができず、髪型が、「振り返れば奴がいる」の織田裕二みたいな

脂ギッシュなピッチリ髪型になっていた。

※北京ーモスクワ線にはお風呂やシャワーがないため、風呂なしで過ごす必要があり。

 ロシアだけを走る電車にはシャワーがあるという噂も。

そんなことを脳内で巡らせながら・・・・。

 

車内にある湯沸かし器に行き、ほうじ茶を飲む。

 

この旅行中、緑茶とほうじ茶をたくさん持って行ったが、

ほうじ茶の良さを改めて感じたそんな旅行である。

 

※思い出せばむかしからほうじ茶は好きだったなと。

 

ほうじ茶を飲みながら、

この5日間、何の本を読んだか、何を食べたか、何をその時思ったのか?など思い出しながら

事細かにノートにメモを始めた。

ただ単調な生活の中にも、いろいろな変化があり、毎日が刺激的であると認識する。

 

※今読み返すと、仕事のことは忘れたなどといいながら、仕事の夢をその日は見たようである。

 また、旅行の最初の方では、かなり仕事の夢を見ていたようである。

 

 

この時、シベリア鉄道に乗りながら、持っていた本などで、かなりシベリア鉄道について調べては

メモを残していたようである。

 

 

 

路線に話を戻すと、

 本日の見所は、ヨーロッパとアジアを東西で分かつウラル山脈を越えることである。

 

山脈と言う名前ながらさほど標高は高くなく、1000m前後の山が南北に連なる山脈である。

内モンゴルの時は、かなり山を登っている感じはしたが、ウラル山脈にはない。

 

 

また、地図を見る限り、アジアとヨーロッパという認識が実際はどうなのか?

何をもってアジアなのか?ヨーロッパなのか?

 

残念ながら、今は、さほどその「アジアとヨーロッパ」の境界や歴史的ななんたらには、現段階では調べる予定はないため、その話は書かない。

 

 

 

今日は、

そんなヨーロッパの気分を醸し出そうと、

もし僕らのことばがウィスキーであったなら」村上春樹著

を読む。

 

 

旅行中に、敢えて他人の旅行記を読むというのは些か刺激的である。

 

本に出すくらいなんだから、深い洞察と美しい情景描写と、さらにはその土地へと誘う

何かを感じさせるものをその本から感じたかった。

 

そんなエラソーなことを村上春樹に対して感じながら、

彼のシングル・モルトを味わうためにアイラ島に行った旅行記を読む。

 

 

昔、この本を勧められたことがあるが、

なるほどな、ウィスキーが飲みたくなるな、敢えてツウぶらずに、お酒を知り、お酒を見て、お酒を

体で感じたくなるな、などと思い、車内にあるvodka(ウォッカ)をまた夜?昼?に飲むことを楽しみに待つことにした。

 

本の内容を簡単に書くと、

アイラ島の酒造りをしているところ数カ所に行き、各会社の伝統的なやり方、ブランドとしてのこだわり

などを身を持って感じながら、酒を飲むという話である。

 

タイトルの比喩は私はよくわからないが、作り手の多様性とプロ意識、受け手の多様性を書いてあり、

軽い気持ちで読みながら、酒場に行きたくなる、そんな本である。(めっちゃ面白い。)

 

その前日か前々日に「男の作法」池波正太郎を読んでいたのも大きかったかもしれない。

粋とはなにか?ものや人へのリスペクトとは何か?

それを感じずにはいられなかった。

 

現地時間の9時前、チュメーニという町に到着するが、その手前では雪が降っていた。

 

 

チュメニという町は、wiki情報によると、50万人都市のようで、

1950年にソヴィエト最大の油田が発見され、そこから一気に拡大した都市だそうだ。

 

wikipediaによれば、

今もロシア国内の原油の約6割、天然ガスの約8割を産出する。チュメニでは石油産業のほか、木材加工や化学工業なども盛ん。

 

シベリアというのは、

掘れば何か出てくる、というところかもしれないし、

ロシアが今も、鉱山やエネルギー関係で経済が成り立っているところを考えると、

 

寒いだけのシベリア、なんか長い鉄道が走っているシベリア、というイメージから、

 

このシベリア鉄道がエネルギー輸送や発展に重要な役割を果たしてきたんだなと、少しずつわかってきた気がする。

 

線路開発とエネルギー輸送は、ソヴィエトやロシアに限った話ではなく、日本でも経済成長の裏には鉄道開発はあった。

 

 

ーーーーーーここからはウンチク(飛ばし読み可)ーーーーーーーー

    

 

阪急や小林一三などの話を書くつもりではない。

 

もう10年以上前(2006年前後)になるが、無性に長崎の炭鉱について調べまくっていた時期があった。

 

炭鉱や軍艦島が世間で話題になる前に、軍艦島という存在を知って、炭鉱ってなんや?

なんで世界遺産になるんや?ってか石炭てなんや?と当時調べていた。

 

調べたことを形にしようと、

当時通っていた、宣伝会議の編集ライター養成講座の卒業課題に、

軍艦島が世界遺産になる可能性について、

書いた記憶がある。

 

※当時、ほぼ知られていなかった軍艦島をテーマにした内容は、前衛的過ぎて、

そのテーマへの理解は得られなかったが、

mixiに不法上陸から軍艦島の歴史や取材のことを書いたら知人の間では評判が良かった。

 

卒業課題では、取材をして文章を書くことが条件だったため、

当時、世界遺産にする会をしていた坂本道徳さんに話を聞いた。

 

さらに長崎の炭鉱の歴史の本を出した、前川雅夫さんという佐世保在住の人に電話をし、

実際に長崎の佐世保に行って話を聞いた。

 

その時、佐世保にある松浦炭鉱跡に連れて行ってくれて、炭鉱とはなにか?を半日かけて教えてくれた。

 

今はもう廃線になっているが、佐世保には、昔、世知原線というものが走っていた。(1896年〜1971年)

その線は、石炭を運ぶために敷かれた線路である。(全長12kmほど)

 

アトリエ準 仕事日記というブログにその世知原線について写真含め細かく書かれている。

(めちゃくちゃ素敵なブログである。)

 

炭鉱というのは、明治初期から日本で発達した産業であるが、

当初は、海や島を中心に炭鉱の開発が進んだ。(軍艦島などもしかり。)

※西表島にも炭鉱の開発が一時進んだほどである。

 

日本は、島国とあり、海で石炭をとって、船に積むという段取りができやすく海の炭鉱は進んだ。

初期の炭鉱は海や島から始まった。 

 

しかし、その後、さらなるエネルギーの必要性から穴掘りは海から山へと移行した。

その際の石炭の輸送を担ったのは汽車であった。

 

世知原線は、炭鉱の発展とともに生まれ、石炭の輸送に使われた。

その後閉山と合わせて廃線となった。

 

もしかしたら日本全国を調べると、石炭輸送のために敷かれた線(廃線)はかなりあるのではないか?

と思う。

 

余談であるが、日本の大半の炭鉱は1970年前後に閉山しており、(軍艦島は1974年)

その後はメインエネルギーは石油で輸入に頼っている。(オイルショックは1973年)

 

ただ、現在稼働してるのは釧路に唯一の炭鉱があるらしい。

(昔調べたときは、そこは、海外の石炭事業開発の訓練場所として使われていると聞いた覚えがある。) 

 

もう少し調べてみると、石炭の需要が高まり、また他の場所でも炭鉱をスタートしたという話もある。

 

以前の日記にも記載したが、

日本の火力発電は、まだ多くは石炭に頼っており、

海外からの輸入にほぼ頼っているが、海外輸送などのコストを考えると、

日本での石炭採掘は事業になると踏んだのかもしれない。

 

 

 

ちなみに、

炭鉱研究者の前川雅夫さんは、もう一つの顔があり、

毎回、佐世保市長選挙に立候補をしている方である。

佐世保市のホームページを転記する。

平成15年

平成19年

平成23年

ただ、毎回圧倒的な差で落選しており、そこも質問してみた。

 

「市長選とは選挙資金を積めば、自分の思いを市の人に伝えることのできる機会でそれを活用している」と。

 

「ただ、投票数が少なすぎて、お金を没収されたことがあり、その時は本当に困った」と。

 

要するに、選挙に出るためには、

ひやかしを避けるために「供託金」というデポジットみたいな形でお金を預ける必要があり、

一定票数に届かなければそのお金は没収されるようである。

 

ちなみに市長選挙は100万円必要で、

有効票の10分の1を切ると没収のようだ。(選挙候補.comより

 

ただ、前川さんのマニフェストは佐世保の米軍基地の撤退を謳うものであり、

なかなかのレフトな形であり、当選したらどないするねん、的な感じである。

ただ、当選した人が10万票に対して、2万票ほど得ていた。

 

そのことについても、

「2万人の市民が自分の意見に同調していたが、それにはびっくりした。」

「その人たちの声はどうなるんだろうか?」と語っていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーうんちくおわりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

8時30分 チュメニ(TYUMEN')に到着。

 

朝が早く、売店は閉まっていた。

 

一つ、このシベリア鉄道の列車内ではずっとビーチサンダルを履いていたが、

毎回、列車から降りるとロシア人には指を指される。多分珍しかったからだろう。

気温はおそらく5度前後。

 

その後、電車に乗りこみ、また読書。 

 

10時30分 突然見回りのロシア人が部屋の扉を開ける。

「おいやめろって」と言いたくなるが、だまって読書。

 

 

少し景色が綺麗になったのでまた、パシャりと。

 

11時30分 エカチェリンブルクに到着。

人口145万人の工業都市である。

記憶に新しいところで言えば、2025年の大阪万博と開催地を争った都市でもある。

 

wikiによれば、ロシア第四の都市だそうで、比較的治安はよくないようである。

ここで少し気になるので調べてみる。 

 

ロシアの各都市の人口は、

1位 モスクワ 1151万人

2位 サンクトペテルブルク 約500万人

3位 ノヴォシビールスク 150万人

4位 エカチェリンブルク 145万人

5位 ニジニノボゴロド 120万人

である。

(ロシアの人口については、こちらを参照(データは10年前であるが)

 

3位のノヴォシビールスクは前日に行っており、5位のニジニノボゴロドはモスクワの横にある都市と、

実は、2位のサンクトペテルブルク以外は、シベリア鉄道で通る都市とわかる。

 

その人口順位を見ると、

・ロシア経済が資源に頼っており、その輸送手段としてのシベリア鉄道の発達

・鉄道開発とともに都市が形成されている

 と、改めてロシアにおけるシベリア鉄道の重要性などが見えてくる。

 

 

そこでもう少し深掘りして考えると、

中国(内モンゴル)、モンゴル、ロシアとこれまで鉄道は走ってきたが、

常に、地下資源のあるところを列車は走ってきた。

 

シベリア鉄道(北京ーモスクワ路線)が資源を結ぶ鉄道であったと同時に、

社会主義というのは、資源のある国に馴染みやすいんだろうなと思えてくる。

 

「穴掘って出てきたモノを運ぶ」

それは、かつては日本では財閥が担っていたことも多く、圧倒的な資金と

管理が必要で、国力を伸ばすためには、そこを国が管理するのが一番やりやすいかもしれない。

 

専門でもなんでもないので、

これ以上のことは、単なる無知の恥さらしになるので控えておく。

 

※モンゴル同様、ここ数年のモスクワの人口集中があるのか?などしらべたが、

 ここ30年でそこまではおおきくかわっていなかった。

 

 

話はエカチェリンブルクに戻ると、 

エカチェリンブルクの145万人は、日本でいう京都市ほどである。

 

日本の45倍の土地に、日本とほぼ同じ人口のロシア。

一つ一つの都市がモスクワを除くと、こじんまりしているような気もする。

 

日本を見慣れた自分からすれば、鉄道から景色をみて、人が居ないと思うのは当然かもしれない。

 

 ちなみに、ロシアの人口密度は、9人/㎢ である。

日本が350人ほどで、面積が45倍と考えると、割り算すると、ほぼ近しい数字が出てくる。

 

数字から見ても、広大な土地とわかる。

 

 

 

 

 話を旅行に戻すと、

 

 エカチェリンブルクには、

30分の停車とあるが、近くに売店がないため、駅を出る。

 

 

ロシアでは(中国でも?)当たり前であるが、

駅の入り口で、荷物検査がある。

 

北京で一度チェックがあったので、そこまで動揺はなかったが、

おい、またチェックやないか!とビビりながらゲートを通過。

写真撮るほど勇気はなく、写真なし。

 

駅に隣接のレストランみたいなところに、

あるじゃないですか、「バーガーキング」が。

バーガーキングは、北京のマクドナルドと同じ、サイネージでもクレジット決済できる式のレジであったが、

久しぶりに人とコミュニケーションができると思い、カウンターで注文。

無事に怒られずに注文できた。

 

なんか、久しぶりに外の世界にでれた嬉しさのためか、

ロシアの現地人がみんな輝いて見えた笑。

 

 

アリョンカもあった。

ロシアのチョコといえばアリョンカ!と呼ばれるくらいのブランドである。

モスクワの本店的なところに行こうと思っていたので、チラ見で終わる。

列車に戻り、

ハンバーガーを持って乗車した自分には、他の乗客から羨望の眼差しで見られた。

「バーガーキングがあったんかい!」と。

 

こうして、バーガーキングにビール、ウォッカという組み合わせで食べ、

30分後には寝落ちした。

 

こうして、モスクワまでの5泊6日の電車旅行も、あと実質24時間を切った。

そのまえに、あの本を読破しなくては・・・という思いに駆られており、その後必死に読書を始めた。

 

後編へ続く。



【追記】

長崎の炭鉱については、

昔調べていたら、いろーーーーんなひとが裏で関わっており、2006年当時、軍艦島が世界遺産になることを私は確信していた。


その裏話も改めてどこかで書ければと思う。

調べたら色々と出てくるよね。

 

【追記2】

Googleを調べていると、エネルギーの輸入についての各国のデータが出てきた。

とても興味深い内容である。

ロシアは年々、エネルギーの輸出が増えている。

モンゴルは、ここ数年で一気にエネルギーの輸出に転じている。

日本はほぼ輸入している。(ここは極めて国としては脆弱かもしれない。)

中国は以前の日記にも書いたが、モンゴルからの輸入も多く、モンゴルの図と反比例する形である。