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【6日目】ロシア3日目夜 ただ無性に・・・(後編)

夕方、ペルミという街に着く。

一応、100万人都市のようで、ロシアの中では10番前後の都市である。

 

さて、

シベリア鉄道の最後の夜である。

 

一つ、今日しなくてはならないことがある。

以前の日記にも書いていたが、

シベリア鉄道の旅行理由を下記の通り書いていた。

 

①母親が20歳のときにモスクワに行き、また、ロシアに行きシベリア鉄道に乗りたいと夢見ていたこと

→自身も時間があるならば行ってみたいという思いを持ち、その写真をしっかりと見せたい

→また母の行きた時代を、その時代の本を読みながら考えたい。

 

 

 それのための本を読むことであった。

 

なぜか、昔から、その当時の学生運動とやらには強い関心があった。

 

団塊の世代の母親=学生運動という勝手なイメージがあり、

むしろ学生運動とは真逆な、体育会員だった母であったが、

なぜか、無知だった私には、その時代の大半は学生運動だと思っていた。

 

そう思い、

学生運動の本を読みながら、昔の人間が何を考えていたのか?を少し考えながら、

旅行をしようと、5日間かけて少しずつ進めていた。

 

帰国後も、日大闘争の本や東大闘争の本を読むなどして、色々と読み漁った中で思うことを少しあるのでまとめる。

 

旅行中に読んだ本は、下記である。

「1968」小熊英二 である。

 

 

※単なるぼやき日記レベルで、旅行とはほぼ関係のない内容になっているのでご注意を。

 

 

【日大闘争】

1968年前後の日大は、ここ最近の日大と同じく、

日大のTOPの人間が、学内で絶大な力を持っていた。

今でいう、田中理事長と同じく、50年前にも古田というトップが人事権含め、

全ての力を集約し、君臨していた。

 

当時は、学生運動や、学校に反対しようものであれば、

体育会の学生をバイトに雇い、異端分子を徹底的にボコボコにして、

学内の治安を守っていた。

 

そんな中、日大では、数十億の脱税が発覚し、

一気に学生の反感を買った。

 

当時の学生は、

①戦後生まれの学生で、民主主義を絶対的な価値として育てられた。

②ただ、その当時は高度経済成長期で、受験勉強が激化し、なんとか貧乏さながら

 大学に行かせる親も多かった。

③その時代、ベビーブームでもあり、学生が一気に増えたことで、大学の制度と

 学生数があっておらず、大学教育の質がとても悪かった。

④なんとか周りを蹴落とし、親に苦労をかけながら、なんとか入った大学が、

 全く本来の大学の機能や役割を果たしておらず、ひどい教育事情であった。

⑤さらに、大人の権力が大きく、学校側の横暴さが、幼少時代の教育にあってなかった。

 

などの理由もあり、

当時、秋田明大という男を中心に、大学への不満や暴力に対して、

周辺地区を巻き込んで抗議した、というのが日大闘争であった。

 

ただ、学生の行動がエスカレートしていき、学生の投げた石が機動隊にあたり死者を出したことや、

まるで岸和田のだんじりのごとく、街を傷つけようが、それが俺たちの表現方法だと言わんばかりの活動が、

世間からも反感を買い、また賛同する学生も日に日にへり、

運動は終わった。

 

 

【東大闘争】

元は、医学部の研修制度の見直しを求める運動からスタートしたが、

その運動の際に、学校は、ある学生たちが暴力を振るったとして、退学処分とした。

 

ただ、その退学処分者の中に、その日に参加してなかったものも含まれ、

そこから学校への不満が爆発し、なんだかんだと不満が爆発したのが東大闘争であった。

 

収拾の目処が立たず、1969年の東大入試は中止されたほどであった。

 

 

その他、早稲田や、慶応などでも学生運動はあり、

国会問題や、OB議員による仲介など、様々な手を打ち、

学生の運動を大人たちは終わらせようとした。

 

と同時に、

運動家たちの背後にある、活動団体が大学の垣根を超え活動し、

学生運動がいつの間にか、大人の陣地ゲームにもなっていった様相もあり、

学生VS学校という構図がどんどん崩れ、

最後は、学生同士の潰し合いにまで発展していった。

 

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旅行中は、興奮して当時の時代背景を記した本を読んでいたが、

帰国後、さらに本を読むうちに、急激に自身の中で冷めるものを感じた。

そこで、当時思ったことと、今思ったことを少し書いてみる

 

 

●今も昔も日大は変わらない。

2018年のGWから日大が大きくニュースで取り上げられた。

アメリカンフットボールの悪質タックル指示問題に始まり、

学校内部の人事権を一手に担う者がいて、学校法人とは思えない

組織であると、そのように報じられた。

 

しかし、1968年当時も、日大はトップが集めた金で

ごく一部のトップが豪遊し、あとはただ従うしか能がなく、

指示を出されれば、体育会は暴力装置になる、という点であった。

 

ただ、当時の日大生は、ある日を境に、権力と戦おうとしたが、

最近は、マスコミが騒ぐだけでもう何もしない、やらないのが現代かもしれない。

(当時、日大を学生運動を指揮した秋田明大に、

 あるマスコミが「タックル問題についてどう思いますか?」と質問したらしいが、

 秋田はノーコメントだったそうだ。(J-CASTの記事参照))

 

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少し長いが、上のリンクがいつなくなるかわからないので、

ネット記事をそのまま拝借すると、

 

   日大全共闘は1968年、20億円を超える大学側の経理不正問題が表面化したのがきっかけだった。

   当時大学4年生の秋田氏は、教職員組合や父兄会を巻き込み、議長として全国一の動員数を誇る大学共闘を指揮。69年に公務執行妨害などの容疑で逮捕され、それにともない全共闘も衰退していった。

   産経新聞の連載記事「【さらば革命的世代】」によると、秋田氏は留置場から出た後、路上で自作詩集を売り、映画に出演するなど、政治から離れた。故郷の広島県呉市音戸町に戻り、自動車修理工場の経営を始めたという。

   それ以来、政治の場から距離を置いていた。1967年10月の第一次羽田闘争で死去した京大生・山崎博昭さんを追悼する「10・8山崎博昭プロジェクト」に賛同者として名前を連ねたが、こうしたことはめったになかった。

   そんな秋田氏が5月31日、重い口を開いた。J-CASTニュース編集部で自動車修理工場に電話取材を申し込んだところ、受話器から聞こえてきたのは、老人の声だった。

――お忙しいところすみません。失礼ですが、あなたは秋田明大さんで間違いないでしょうか。

「はい。そうですけれども」

「日大のアメフト部...?」

――そうですか。この度、取材のお願いで電話しまして。日大のアメフト部の一件について、ご見解をうかがえないかと思っております。

「日大のアメフト部...?」

――はい。今から半世紀前、日大で全共闘を指揮していた秋田さんの姿に、今回の問題を重ね合わせる人も多いようでして。この問題をどのようにご覧になっているか、お話を聞かせていただけないでしょうか。

「すみませんが、もう50年前のことですから、その件についてはお答えできません。失礼します」

   秋田氏は71歳。残念ながらそれ以上は答えてもらえなかった。が、その声から受ける印象は、とてもあの全共闘を指揮した人物とは思えないほど、穏やかなものだった。

 

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と、世間が思うことは、私も一緒であったが、あまりテレビではその観点は報道されてなかった気がする。

 

写真は当時の秋田明大

 

 

次に思ったこと、

 

●学生運動って今にたとえるとなんなんだろう。

 

私の読んだ本の作者は、

「学生運動=自分探し」

 

と一言で片付けており、多くの当時の活動家から批判を浴びているが、

ある時、元活動家という方とお酒を飲む機会があり、「自分探し」というてる人がいますがどう思いますか?

 

と質問したところ、

「あー、上手いこと言うねー、確かに!」と

妙に賛同してくれたことを覚えている。

 

帰国後、日大闘争の本を読み漁っていると、

一つ一つの出来事に、「●●闘争」と名前がついていたり、

やけに熱く当時を語る姿を見て、

個人的には、これまで30年近く、どこか共感してきたはずが、

「単なる厨二病くらいに思えてきた。

 

と同時に、

どこか、自分の学生時代に流行った「パラパラ」などと同じような

単なる若者の流行くらいにしか感じなくなった。

 

今も「パラパラ好き」な人はいるだろうが、

2003年前後の「スーパーフリー事件」を最後に、

社会的に、一気に冷めた目で見られるようになったが、

当時は、一流大学の学生が、やたらにそう言う会を開いていた。

やれ、京都大学だ、やれ早稲田だと。

 

おそらく、

中高と遊ばずに、一気に大学で爆発させたパターンかなと思えた。

何か、思春期のやり残しや、後悔をここで晴らそうと言う

それが大学生活だ!くらいの活動にすら感じてきた。

 

今となっては、なんか関東の一流大学や京大あたりだけが、

かつて学生運動をしていたような雰囲気を感じさせるが、

 

当時のFラン大学でも、ほぼどんな大学でも学生運動は行われていた。

高校にでも行われたほどであった。

 

同時に起きていたのが、

大学間にでも偏差値による縦社会が存在で、

学歴によるヒエラルキーがすでに存在していたようである。

日大は東大を守るが、その逆はない。

大阪でいうと、桃山大学は、同志社あたりに兵隊をさせられるなど。

 

そういう、どこかその自由を求めながらも、起きる不平等さに

とても幼さも感じた。

 

もちろん、本当に正義感で動いていた人もいるが、

学生運動=何か流行に乗っかったエリート気取り活動

に思えてならない、読めば読むほどそう感じてしまう。

 

見る人が見たら怒るだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

●結局、方向を見失ってもすごい奴はすごい

東大の学生運動の中心に立った、山本義隆は、当時から天才と言われたが、

活動に伴い、研究者への確かなポストは奪われ、予備校講師をしているとかなんだとか。

 

ただ、彼は、物理の研究では、すごい研究者らしく、福島原発なども含めて、研究書を多く出している

 

個人的には、

2015年に書かれた「私の1960年代」は読むつもりである。

 

学生運動とは関係ないが、

今年、死刑執行された、オウム真理教信者の中に、中川智正という実行犯がおり死刑の際に色々と話題になったが、

 

彼はVXガスを作った人間であり、

その後のVXガスの研究書をまとめ、金正男の暗殺の際も、「VXに違いない」と早くから指摘をし、論文も出している。

インタビュー記事

 

wikipediaによれば、結構論文を書いている。

  • 中川智正「中川智正死刑囚の手記 当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」、『現代化学』548号(2016年11月号)、pp. 62-67
  • 中川智正「オウム死刑囚が見た金正男氏殺害事件:VXを素手で扱った実行犯はなぜ無事だったのか」、『現代化学』569号(2018年8月号)、pp. 66-71
  • Tomomasa Nakagawa and Anthony Tu, "Murders with VX: Aum Shinrikyo in Japan and the assassination of Kim Jong-Nam in Malaysia", Forensic Toxicology, July 2018, Volume 36, Issue 2, pp. 542–544
  • 俳人江里昭彦と刊行した俳句同人誌『ジャム・セッション』(2012年8月創刊)の各号に俳句作品を掲載。また、第2号~第13号にエッセイ「私をとりまく世界について」(その1~その12)を連載。第12号に論考「マレーシアでの神経剤VXによる金正男氏の殺害」を掲載。

 

このように、本来進むべき道を踏み外した人も、研究が好きな人は研究をするものである。

 

 

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必死にシベリア鉄道で本を読んでは見たが、

 

中国・モンゴル・ロシア で必死に生きる人々の歴史や今を調べていくなかで、

私の中では、当時西側諸国で起きた「1968年」という文化的な論争や闘争というものは、

生活や生きることに直結する何か、とはかけ離れたものに感じ、

電車の中では興奮して読んだが、今となっては、何も思わないのが本音である。

 

終始、書くのが面倒と思いながらのこの日の後半の旅行記であるが、

いよいよ、次回でモスクワに到着である。